本を読んだり、読まなかったり

518   『文芸誌「海」精選短編集』 中公文庫

文芸誌を読まないので、これらの短編が「海」らしいとか、そういうことはとんと分からないけれど、どれもなかなか面白かった。冒頭の石川淳の「舌を結ぶ」の書き出しがカッコよくて唸った。他の作家のも冒頭がどれもいいなぁと思う。作家の老年に書かれたものが多くて、しんみりしたり、しんみりを通り越してしーんとしたりする。武田泰淳の「目まいのする散歩」の明治神宮を散歩している、こういうところなど、いいなぁ。

あまり一面ひろびろとして静かなので、却って「ああ、世はすべてこともなし」という感じは起きない。むしろ、静かにざわめいているような気がする。(中略)あたり一面に、調和のとれているくせに何か神経を焦らだたせるざわめきが、みちひろがっていた。その焦らだつ神経は、私が生まれたときから維持されていて、地球上のざわめきと連絡のある、貴重な手がかりらしかった。いままで見たこともない、すばらしく大きい蝶や蛾のようなものが、うす色の羽を地球の上にひろげて、ゆっくりと羽ばたいていて、その羽ばたきは、何かしら一種の親愛の情をもって、私の上にかぶさっていた。

他によかったもの。阿部昭「人生の一日」、田中小実昌「ポロポロ」、筒井康隆「遠い座敷」など。武田百合子の「富士日記」の冒頭部分はここで発表されたんだなぁ。(また熱心に読んでしまった。)水上勉や吉行淳之介などの男女のどろどろはあまり好きになれない。描かれている女たちは性しかないようで人間っぽくない。性交中に物音がしたとき、男はぎくりとするが、女は「原初の生き物」だから気がつかないのだなんて書いてるけど、気がついてるに決まってるじゃん。
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by tummycat | 2010-03-04 09:25