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本を読んだり、読まなかったり

581  林芙美子 『放浪記』 新潮文庫

日記文学好きなのである。この『放浪記』は日記の形を取った自伝的な小説と考えられるものだが、やっぱり日記形式独特の楽しさがある。わたしにとって日記の魅力は、まずは日々の細かな出来事の描写があること。武田百合子の『富士日記』が良い例だけれど、「今日は軍手とバケツと饅頭を買った」のような記述だけでも妙に楽しいのだ。叙事詩においていろいろなものを列挙する技法を文学用語で「カタログ」と呼ぶけれど、それみたいなものか。日記には<小さい叙事詩>のような面があるのかもしれない。もうひとつは、自分の夢や目標をめざしてがんばっているところ。『神谷美恵子の日記』とかマルクス・アウレリウスの『自省録』がこの例だ。「今日もうまくいかなかった。でも明日はがんばるのだ」という自分への叱咤激励がある日記が好きだ。『放浪記』はこのふたつの魅力を両方備えていて、日記好きにはこたえられない。

斎藤美奈子の『文学的商品学』によると、日本の貧乏小説の多くはダメ男としっかり者の女が出るそうだ。『放浪記』もこのパターンで、頑張る芙美子さんの陰で彼女を困らせる男たちの姿が見え隠れする。具体的な貧乏描写としては、自分の部屋で煮炊きする様子、食堂でこきつかわれたり、カフェでの酔客のあしらいなど、たいへん興味深い。また貧乏生活には布団がたいへん重要なアイテムであるとこの本で知った。一枚の布団に二人、三人で寝るというのには驚き。特に好きでない男と寝るときに、襦袢の紐で布団の真ん中に線を引いて「こっちに来るな」というのも…!

女の自伝には、なかなか怒りのような負の感情が記されにくいのだそうだ。わたしが『放浪記』を好ましく思うのは、男に対する怒り、世間の人々への怒り、自分の置かれた環境への怒り、などが豊富にいきいきと、でも不思議に嫌味でなく、書かれているところだ。林芙美子の場合、高等教育を受けなかったため、借り物でない独特の表現が可能になったのかもしれない。たとえば、下のような表現に出会うとわくわくする。

雪と云うものはいやらしいものだ。そして、しみじみと悲しいものだ。泥んこの穴蔵のなかの道につらなる木賃宿の屋根の上にも雪が降っている。荒んで眼のたまをぐりぐりぐりぐりと鳴らしてみたい凄んだ気持ちだ。

外は嵐が吹いている。キュウピーよ、早く鳩ポッポだ。吹き荒(す)さめ、吹き荒さめ、嵐よ吹雪よ。


『放浪記』の記述が断章のようになっており、しかも出版の事情によって結果的に時系列がくずれている点も、女の自伝にふさわしい形といえるかもしれない。(ドリス・レッシングの『黄金のノート』と似ている。)そのような形式のため、却って作者の眼に映る外界の全体のイメージが伝わってくる結果になっているのだ。

ただ、日記の形ではこの荒削りでエネルギッシュな文体が大きな魅力になっているけれど、小説になると果たしてどうなのか。また他に機会があれば詩や童話なども読んでみたいと思った。
by tummycat | 2011-02-24 21:10