本を読んだり、読まなかったり

080 「空の空なればこそ」 堀田善衛著 (筑摩書房)

やっぱり堀田善衛はいいなぁ...。

彼は、たとえていうなら、世間の人間たちが地面を這って汲々としているときに、ひとり小高い物見やぐらに登って、遠くを見ている人だ。そして彼の本を読むと、地面のわたしたちも彼が見渡しているものを知ることができる。こういう人、今の日本にどれぐらいいるだろう。情報通なら多い。小器用な国際派や、外国で生まれ暮らし言葉に堪能な人も多い。でも、彼は違う。博学であり、実地に世界の人々と交わる人であったけれど、彼のスタンスはいつも、日本の北陸の北前船の海商の息子なのだと思う。そのスタンスで、「責任ある個人」でありつづけた人。北陸の風がいつもまわりに吹いているような人。

自分は論理的な人間ではないと彼が書いているのが新鮮だった。だから、人と話をしていて相手が「ゆえに」とか「なぜならば」などの接続詞を多用すると嫌になるのだそうだ。(これは意外。とても論理的な人のように思っていた。)そういうところも好きだ。

ところでこの本の題名は旧約聖書の「伝道の書」から取った言葉だそうだ。その引用をわたしは初めて読んだけれど、宗教の枠を飛び越えるようないい言葉だった。

最初の部分は「伝道者言わく、空の空、空の空なるかな、すべて空なり。」途中には「皆ひとつの所に往く。皆塵より出で皆塵にかへるなり。」そして、(この後は読みにくいのでわたしが勝手にすごくいい加減な現代語に訳すけれど)「わたしはこの空な世に、いろんなことを見てきた。正しい人が正しいことを行なって滅ぶこともある。悪い人が悪いことをして長生きもする。あまりにも正しすぎないようにした方がいい。賢すぎない方がいい。身を滅ぼすことになるだろう。また、悪すぎないよう、愚かすぎないようにする方がいい。早すぎる死を招くことになる。」そして、最後がいいなぁ。「悦びをもってパンを食べよう。楽しい心で酒を飲もう。きちんと身じまいをして、空なる生命の日の間、愛する妻とともに喜んで暮らそう。自分の能力でできることはちゃんとやろう。」

すでに人生の下り坂が始まった人間の心に沁みてくる言葉だ。
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by tummycat | 2004-01-09 00:00 | は行