本を読んだり、読まなかったり

093 「ためらいの倫理学 戦争・性・物語」 内田樹著 (冬弓社)

面白かった。特に前半の戦争論のあたり。目からウロコというよりは、自分がいつももやもや感じていたものを、きっぱり言葉にしてもらって嬉しかったという感じだ。現代の多くの日本人が戦争に対して持っている感覚が「ねじれている」こと。そのために気まずくて、いたたまれない気持ちを持っていたことを、きっぱり言ってくれてありがとう、内田センセイ。ねじれていて、中途半端な自分が後ろめたくて、あっけらかんと意志表明するアメリカ人を馬鹿にしたくて、でもできなくて。そんなわたしだったのでした。そして、日本が「ねじれ」の処理法として、対立するふたつのイデオロギーに対峙させて内的なねじれを消滅させようとしてきた、という指摘はすごい。なるほどぉ。

戦争論に比べて後のフェミニズムやポストモダニズムの部分は歯切れが悪くなるけれど、これもこの人の良さかとも思う。要は自分で後書きにも書いているように、「自分の正しさを雄弁に主張することのできる知性よりも、自分の愚かさを吟味できる知性のほうが、私は好きだ」と思う故なのだろう。

非常に哲学的であり元気な論客であるが、こんなにもわたしが共感して読めたのは、彼が文学の価値を高く認めているためかもしれない。たとえばこういう部分が好きだ。

加藤(典洋)や文学の可能性を信じる人々が望んでいるのは、まさに「南京の虐殺者たち、七三一部隊の隊員たち、従軍慰安婦を性の奴隷とした兵士たち」が具体的にどのようなかたちでその行為を生きたかを、圧倒的な邪悪さとともに、その悲劇的な無意味さとともに、「その内側から」、つまり「われわれの経験」として、もう一度始めから語りなおすことではないのだろうか。(p96)

最後まで読んで、この人が書いていることにことごとく自分が共感してしまったので、却って心配になる。彼自身も言うように、「自分は間違っているかもしれないと考えることのできる知性」を、わたしも少しでも持っているならば、こんなにも共感してしまうのはどこか用心すべきところがあるのかもしれない、などと考えたくなるくらいだ。

ひとつだけ不満なこと。カタカナ用語が多すぎ。それも英語とフランス語がまざっているので一層読み辛い。せっかくの内容なのに、イデオロギー業界の業界用語をこんなにも多用されたら一般人は読む気をなくしてしまうじゃないの。ふつうに書ける人なのだから、ぜひふつうに書いてほしい。
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by tummycat | 2004-03-10 00:00 | あ行