本を読んだり、読まなかったり

108 「夏の闇」 開高健著 (新潮文庫)

「どうしてベトナムに行くのか」という疑問に、開高自身も答えられない。

 「私をいたむ弔辞で述べられるかもしれないいくつかの観念が明滅し、そのいずれもがいくらかずつは真実であることが感じられた」(p256)

 日本人の戦争でもないのに、どうしてベトナムへ行こうとするのか、と彼は自分に問う。

 「人格剥離」が起き、それが起きるとつらくてたまらない状態になるとも書いている。恋人は彼を、自分の空虚を埋めるためなら何でもするし、どこへでも行く人だと評する。

 彼は言う。
 「非当事者のくせに当事者の身ぶりをすることはできないよ。当事者と非当事者のへだたりのすごさというものをつくづくとさとらされたのだ。おれの位置は壁の東でも、西でもない。しいていえば壁の上ということになるだろうか。おれは東が見えるなら東を見る。西が見えるなら西を見る。壁も見るし、空も見る。壁の東にいる人間でなければつかめない現実があるだろうし、西にいる人間でなければつかめない現実もあるだろう。どちらもそれを唯一の本質といいたがる。けれど、壁の上にいる人間でなければつかめない現実というものもあるはずじゃないか。それも本質だ。」(p235)

 この小説を読みながら、イラクでの戦争のことを思う。世間に迷惑をかけないよう安全な日本にいるというのもひとつの見識だ。でもその見識を唯一の見識と信じて疑わない人は、人間というものがひとりひとりあきれるほど違うのだということを知らないのじゃないか。だから、どうしてもそこに行きたいと思う人間がいるということが想像できないのだと思う。

 開高健がベトナムに行ったのは無謀な行為だ。彼はたまたま優れた作家で、小説やルポルタージュを残した。でも彼がそこへ行ったのは、行かなくてはいられなかったから行っただけなのだ。
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by tummycat | 2004-04-29 00:00 | か行