本を読んだり、読まなかったり

277 スーザン・ソンタグ 「隠喩としての病い」 みすず書房

ソンタグ自身が癌になった後に書かれた。結核と癌が主に文学上でどのように表現されたかをまとめたもの。昔の結核と今の癌は不治の病ということで共通点もあるが、それぞれの病気の性質から扱われ方に違いも多い。

* コレラやチフスにかかって「なぜ自分が?」と問うものはいないが、癌にかかると「なぜ自分が?」と問う筈である。(不公平感)

*癌にかかると人は自分が罰せられていると感じる。

*癌という病気が結核など他の病気よりも劣る病気であると感じる人が多い。

* 結核は「情熱的な者がかかりやすい」と考えられていた。キーツ、シェリーもそのような時代の詩人。結核は繊細さ、感受性、哀しみ、弱々しさの隠喩。両義的。

* 非情で、容赦なく、略奪をこととするように見えるものはすべからく癌にたとえられた。(このような癌の比喩を目にすると癌患者は不快に感じる。ソンタグ自身もそうだったからこそ、この本を書くことを思いついたのだろう。でもそのソンタグも以前ベトナム戦争の頃は「白人種は人類史上の癌である」と書いたことがあるそうだ。)

*16-17Cのイギリスではペストが流行したが、「幸福な人間はペストにかからない」と考えられていた。

* 梅毒に対する非合理的な恐怖感がナチの政治観及び反ユダヤ主義の大きな源泉となった。

* 関係ないけど、19Cの俗語ではオルガスムは「来る」のではなく「消費する」と表現したそうだ。なぜ?

ところで、この本の出だしの文章がなかなかよい。

「病気とは人生の夜の側面で、迷惑なものではあるけれど、市民たる者の義務のひとつである。この世に生まれた者は健康な人々の王国と病める人々の王国と、その両方の住民となる。人は誰しもよい方のパスポートだけを使いたいと願うが、早晩、少なくともある期間は、好ましからざる王国の住民として登録せざるを得なくなるものである。
(中略)それにしても、病気の王国の住民となりながら、そこの風景と化しているけばけばしい隠喩に毒されずにすますのは殆ど不可能に近い。そうした隠喩の正体を明らかにし、それから解放されるために、私は以下の探求を捧げたいと考えている。」

癌で亡くなったジャーナリストの千葉敦子も、ジャーナリズムの文章で使われる癌の比喩を指摘していたなぁと思う。彼女も感情的なことは書かない人だったが、きっと傷ついていたのだろう。
[PR]
by tummycat | 2006-11-14 21:40 | さ行