本を読んだり、読まなかったり

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681  小池滋  『ゴシック小説を読む』  岩波セミナーブックス

岩波セミナーでの講座のままの文章で、非常にわかりやすい入門編。グランドツアーから始まるゴシック大流行の話から、サブライムやピクチャレスク、代表的な作品解説、イギリス以外の国への影響など。邪悪な動物的情念や悪への憧れなど、それまでになかった面を表現した芸術であったということ。最初のゴシック小説であるウォルポールの『オトラント城』や、次のクレアラ・リーヴの作品などが見知らぬ外国の書物を英訳しましたという額縁的構成にした点が面白いと思った。その後もこのスタイルはときどき見られたと思うのだけど、ゴシック小説がその始まりだったのだろうか。
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by tummycat | 2013-02-24 16:45

680  松本清張  『点と線』  新潮文庫

昭和30年代の雰囲気があふれにあふれる推理小説。九州から北海道まで日本中を大きく移動するプロットなのだが、電車だけの話なのだと思って読んでいたら、事件を追う警察官が「そうだ、航空機の可能性があったのだ!」と突然に叫んだりするのでびっくりした。航空機というのが思いつかないほどマイナーな移動手段であった時代である。ほかにも驚いたのは人の年齢についての記述で、60歳すぎの女性を「老婆」と呼んだり、犯人の30代半ばの男は「中年」だったりすることだ。この小説に限らずちょっと昔の小説を読むと、年齢と「青年・壮年・老年」の区別は昔と今ではずいぶん違うものだと感心することが多い。この小説の犯人は35歳で会社社長であり、ある省庁の役人に取り入ろうとしているのだが、その当時はそんな年齢の人間がそういうことが出来ていたのか。

松本清張がとにかくものすごく流行った時代だった。そして時刻表のトリックを使った推理小説が日本中にあふれたのだ。警察官たちの描かれ方といい、いま読むと働く男たちの時代だったのだなぁと思う。汚職隠しの陰謀のために殺されることになる女が、男に連れられて夜道を歩きながら「ずいぶん寂しいところね」と言うのを偶然に通りかかった者に聞かれているのだが、その女の肉声が最後に耳に残った。東京駅のホームで二人の男女を目撃する行為を始めとして「見る」ことで推理が進む中、たったひとつ際だつ「声」だ。男たちの社会で「点」としても「線」としてもすくいとられることのない女の声なのである。
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by tummycat | 2013-02-20 13:25

679  リディア・デイビス  『話の終わり』 岸本佐知子訳 作品社

『ほとんど記憶のない女』につづいて、この人は2冊め。こちらも面白かった。主人公である作家が数年前に短く終わった恋愛を小説にしようとしているのだが、なかなか構成できないし、記述にも迷いがある。何より、どうやって話を終わりにするのかが決まらない。恋愛小説に限らず、小説とはいきなり完成形で生まれるのではない。だから小説が生まれる過程を小説に取り込んでみたということ。でもポストモダンな実験的な試みという感じはあまりせず、逆にすごく自然に感じた。小説にするかどうかは別にしても、ある経験を自分の中で何度も解釈し直していくのはわたしたちにも覚えがあることだ。

だからこの小説は、<悩みつつ文章を書くこと>についての小説でもある。ずっと前に書いた部分を読み返して、誰か別の人が書いたような気がしたり、知合いの小説家の体験を聞いて参考にしようとしたり、メモや断片を工夫して使おうとしたりしているあたり、論文を書くときの苦労に似ているかもしれない。そしてもちろんこれは<恋愛を書くこと>についての小説でもあり、ドライに淡々と、あるいはひどくぶっきらぼうに書いている裏で、どれだけ苦しんでいたかがよく分かって痛々しい。ひどく単純化して書いてある部分が読む者の経験の量や質によっていくらでも深く強く感じられるのだ。最後はストーカーのように恋人が働くガソリンスタンドにたびたび行くようになる主人公。それほど狂いながらも、生活のために大学での仕事や翻訳は続けている。デイビスがブランショーやフーコーを訳した人であることを思うと、狂乱の中でもちゃんと仕事をした彼女は実にエライと感心してしまった。プライベートが苦しくても目の前の仕事を止めないということ。目の前の仕事が助けてくれるということか。

それで「話の終わり」がどんなだったのかということだが、さりげないけれどいい終わり方だったと思う。苦い紅茶を彼女に差し出す見知らぬ青年が、ふっと「彼」だと感じられてしまうところがよかった。食べ物や飲み物を他人に与えるという行為が「終わり」にあるのはとてもいい。
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by tummycat | 2013-02-18 08:22

678   J.ヒリス・ミラー  『文学の読み方』 馬場弘利訳 岩波書店

前回の『文学の福袋』で紹介されていた本。文学の入門書だけれど、たいへん面白かった。こういう本でよくある方法は、ある有名作品をとりあげて、いろいろなスタイルで批評してみせるというもので、この本でも『スイスのロビンソン』を例に取っているが、他と違うのは、この小説が著者が子供の頃に大好きだった本であるところ。これって案外、文学研究をする者にとって深い問題だと思う。深いのにあまり触れる人が少ない問題だ。自分がかつて大好きだった作品を、批評を知ってしまった大人の自分が再読するのは辛いものがある。できれば触れないで、そっと過去の思い出にしておきたいのだ。でもミラーさんはがんばって再読した。ふつうに読む(アレグロ)。すると、なんとやっぱり面白いと感じた!それから彼は批評的にゆっくり(レント)読む。するとやっぱり突っ込みどころ満載の話なのである。

多くの優秀な文学研究者がこの問題(子供の頃に大好きだったものを大人のいま批判すること)を扱わないのは、彼らが案外、子供の頃には文学に親しんでいなかったからじゃないかなぁとわたしは常々思っている。大人になって初めて、しかも研究対象として文学に接したら、ビシバシ批判するのは簡単だろう。この本は文学が子供の頃から好きだった人間が困りながら書いているところが好感が持てる。そして「こうやって文学批評が盛んになるのは、文学自体が衰退してるからなんですよねぇ。批評が文学を殺しているようなものなんですよ…」と、<それをいったらおしまい>的なことを何度か繰り返しているところも。

文学と暴力についての下りで、文学は冒頭からいきなり読者をさそいこむという暴力的な行為をするということと、作品内で描かれる暴力について結びつけようとしているけれど、どうして結びつくのかよく分からなかった。陶酔、死、セクシュアリティと結びつくということと関連しているのか。それ以外にも、魔法と文学、プラトンの詩批判とアリストテレスの擁護、叙事詩が愛と戦争という2つの高度の肉体的な営みに関するものであるということ、欽定聖書は教会で読まれるものという話、「自己」の変遷、ドストエフスキー作品に見られる神のような悪魔のような笑い(!)、などなど参考になる話がてんこ盛り。

あと、途中でリディア・デイビスの名前が出たのに、ちょっとびっくりした。この本を読みながら、並行して『話の終わり』を読んでいたからだ。ミラーによれば、デイビスはブランショーの「レシ」を「tale」と英訳したのだが、この訳は誤解されやすいとのこと。(そうかぁ、リディア・デイビスも12歳年下の男に失恋して苦しんだりしながら、ちゃんとブランショーを訳しているのだ。えらいもんだ。)

ということで次回はきっとリディア・デイビスの『話の終わり』です。
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by tummycat | 2013-02-15 11:54

679   富山太佳夫  『文学の福袋(漱石入り)』 みすず書房

尊敬する富山先生の新しい本なのである。新聞に掲載された書評がメインで、それに学術的エッセイが追加されている。とにかくすごい勉強量の人なのだ。中央大学の中央図書館の書庫にこもっているときが幸せとのこと。どんな書庫なんだろう、見てみたい。

紹介されている本のうち、ヒリス・ミラーの『文学の読み方』とか、谷田博幸『唯美主義とジャポニズム』、読んでみたいと思った。また、個人的に「もうけた!」と思ったのは、ゴシック小説の恐怖の原因についての考察部分。わたしも似たようなことを考えていたのですごく心強かった。福袋のオマケである漱石についてのエッセイも辛口だが面白い。漱石はあの時代の日本人なのにたいへんな英語力があり、じゃかじゃか英文学を読んでいて、すごいという定評があるが、漱石文庫を実際に見てきた富山先生はそれに賛成じゃないらしい。また言われているように近代的小説だとも思わない、とのこと。にも関わらず、なんで漱石は面白いんだろうか、と最後に考えている。

でもこの本、とにかく硬かった。あまりに政治的なことに関心が集中していて、あまりに中央に対して周縁を意識しているから。もちろん「わたしは鳥取の田舎で裸足で暮らしていた」と語るこの方の長年のスタンスだからそれは当たり前なのだけど、でも息苦しくてわたしにはすごく楽しい読書とはいえなかった。もっと柔らかく読んで柔らかく書いてもいいのになぁとこっそり思った。そんなことを言えば一喝されそうだけど。
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by tummycat | 2013-02-07 08:48

678 東郷雄二  『打たれ強くなるための読書術』 ちくま新書

この著者の本は以前に『文科系必修研究生活術』を読んだことがあり、それはとても参考になったのだが、今回の本はわたしにはイマイチだった。大学生や院生を対象としているとのことだが、参考になるのはせいぜい大学の低学年どまりではないか。「打たれ強い」というのは議論に強いということかと思ったがそうではない。小説を読むときのように受動的に読むのではなく、知識を増すために読む、それも批判的に読む、大人の読書という意味らしい。題名に惹かれて読んだのだが期待したものとはだいぶズレていた。

読書術の例として出している本が偶然にも面白そうだったりした。神崎繁『プラトンと反遠近法』という本は美術の一技法としての遠近法を哲学の立場から考察したものなんだって。読んでみたくなった。また、蓮見重彦のやたらと難解な文を引用して、これは日本語ではなく、ゲンダイシソー語という特殊な言語なので読んでもわからないのは不思議ではないと書いてあるところで笑った。

著者は言語学が専門。そのせいか文学の扱いが単純すぎるのは気になるが、こういう一般的な読書術の本では仕方ないのだろう。
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by tummycat | 2013-02-05 10:42