本を読んだり、読まなかったり

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684  岡田温司  『グランドツアー:18世紀イタリアへの旅』  岩波新書

グランドツアーというのは18世紀イギリスのぼんぼんが大人への階段を上るためにヨーロッパ、特にイタリアに出かけた卒業旅行みたいなもの。イギリス文学ではおなじみのタームだが、著者は美術史を専門とする人なので、もっぱらイタリアに立ってやってくるイギリス人たちを眺めている。イタリアで彼らが出会う「人」、「自然」、「遺跡」、「美術」の4つの面から解説している。

「美術」が注目されるのは当然のことだし、「自然」や「遺跡」というとすぐに「ピクチャレスク」という当時の流行を思い出すが、「人」というのが面白かった。たとえば当時のイタリアでは「女流博士」というものが登場していたこと。人体を解剖するのは男がやるのが当たり前だったのに(女の身体は解剖する男からのエロティックな好奇のまなざしにさらされていた)、そこに登場した女性解剖学者マンゾリーニ。円満な表情の彼女が男の解剖をしている像が残っている。この人のことをたとえば『フランケンシュタイン』を書いたメアリ・シェリーは知っていたかなぁと想像した。

他に面白かったのは、サブライムでピクチャレスクな風景画の大流行とは別に、驚くほど現代的な風景画が描かれていたこと。なんの変哲もない壁だけを描いたものとか。神話や歴史の暗示が皆無なので、「記憶喪失の風景」と著者は呼んでいる。これらの絵は黙って見せられたら20世紀の絵だと思いそうだ。
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by tummycat | 2013-03-24 13:08

683 中勘助 『銀の匙』 岩波文庫

たいへん美しく、繊細な子供時代である。何気ないようで実は緻密に描かれていて、欠けているところがなく子供の世界を構成している。でもそれは考えたらとても不自然なことではないだろうか。誰だって子供時代を振りかえってみると、印象に強く残っている場面があり、耳にした言葉があり、感覚がある。しかしそれ以外のものはひどく曖昧なものではないのか。しかし『銀の匙』では「このあたりは曖昧である」的な叙述はいっさいない。欠如がなく、必要なものはすべて揃っている。つまりこれは自然に見えるようだが、作者が想像力で肉付けしながら(言い換えれば、フィクションをまじえながら)綿密に再構成した世界なのだ。

誰にとっても自分の子供時代は一種のミステリーではないだろうか。自分の記憶は果たして正確なのか、自分の印象は正しかったのか、大人になって振りかえるとはなはだ曖昧である。自分で何度も思い出してみて、あるいは他人から言われて、長い間の勘違いに気づくことも多い。自分の子供時代には、完全なバージョンなどはない。自分が事実だと長く思っていたことは、事実ではなくて自分の頭が作りだしたフィクションだったかもしれないと思ってしまうのだ。(もともと英語の "fact" という言葉の語源はラテン語の "facere"(作る)の過去分詞だと聞いたことがある。「事実」とはもともと「作られたもの」なのであれば、どんな子供時代の事実もフィクションだとも言えるだろう。)

しかし中勘助という人はこの小説において、そのような「事実」「フィクション」などの心の揺れを全く見せない。そこには「美しく繊細な自分の子供時代を描く」という強い意図だけがある。どんなクレームも受けつけず、外の世界に断固として背を向け、自分が欲する世界を一心に作り上げる。なぜなのか。それは彼が生きるためにそういう世界を必要としているからだ。現実には兄からいじめられて惨めな思いをすることが多かったとしても、この世界では彼はついに兄に向かって「兄さんが魚をとるのに僕はなぜ石をひろっちゃわるいんです」ときっぱり反論し、更には「兄さん、兄さん、居てあげましょうか」と同情を示せるほど優位に立つ。兄に勝っている。これがこの世界における「事実」なのである。中勘助の外の世界がどんなに厳しく、情けなく、辛いものであったとしても、彼にはこの世界がある。美しくやさしい女の子や女たちだけに囲まれて、はかなく繊細な時間を永遠に過ごすことができるのだ。作り上げたその世界が美しければ美しいほど、彼が現実にいる世界がどんなだったかと想像してしまう。そういう世界を必要とした人の苦しさを読者は逆に想像してしまうのではないか。
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by tummycat | 2013-03-21 07:55

682  片岡義男  『洋食屋から歩いて5分』  東京書籍

最初から最後までひどく意外で、半ば信じられない思いだった。片岡サンがこんなことを書くなんて。ハワイがぴったりで、英語がぴったりの片岡サンが居酒屋に行ったり、神保町の喫茶店で毎日まずいコーヒーをすすったり、下手な(下手すぎると思う!)俳句をひねったりするなんて。まさにミスマッチ。どれぐらいミスマッチかというと、松本清張が好きな童話についてエッセイを書いているような、コンラッドが宮廷恋愛の小説を書いているような、安倍総理がパチンコの景品を換金しているような、それぐらいの違和感があった。アメリカ製のガムについて語ったり、戦後の食糧不足のときにオレオを空気銃で撃つ話などはわずかに彼らしい部分だったが、彼が岡山の田舎に疎開していたとき、池でウナギを捕まえたり、人に紹介されて付き合い始めた女性にあっさり振られたり、鯛焼きについて語ったりするのはやっぱり変。でも田中小実昌とのエピソードは面白かった。俳句は下手。いくらなんでも下手すぎ。
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by tummycat | 2013-03-15 21:19