本を読んだり、読まなかったり

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695  水村美苗 『本格小説』 新潮社

とにかく面白かった。読み始めたらやめられない。こんなに夢中で読んだのはディケンズの『デイヴィッド・コパーフィールド』以来だ。どんな小説なのか知らないで読み始め、長い長い序文で、「なんかこの男、ヒースクリッフぽいなぁ…」と思っていたら、この小説は『嵐が丘』がモデルなんだって。

だけど、単純に『嵐が丘』の時代と舞台を現代の日本にしてみたというものではない。日本とアメリカの中間で青春期を過ごした作者の屈折や、日本文学に対する疑問や、戦後日本を描くという気合いで、結果として『嵐が丘』よりもずっと重厚な小説になっている。そのぶん、二人の恋愛の重さは相対的に軽くなってる気がするけど、それは仕方ないよね。でも、主役のよう子と太郎はキャサリンとヒースクリッフに十分似て造形されていて、その技術はすごいと思う。読んでいて、「ああ、これはあの場面!」「これはあのときの台詞!」と、『嵐が丘』ファンとしてはその都度思い出してワクワクする。元ネタの使い方がうまい。

『嵐が丘』そのままの筋にしようと思えばできたのに、作者はわざといくつかの大きい変更をしている。一番大きい違いは、母娘2代の話にせず、よう子と太郎の話だけで終えたこと。それから、ジェンダーを一部変えたこと。ヒンドリーの代わりに常さん、ヒースクリッフを拾ってきた祖父のかわりに祖母、という風に。これはイギリスと日本の違いから自然にそうなったのかとも思うが、他にも全体的に女系を強調しているので、作者には女性を描くという意図があるのだろう。それから非常に気になったのが、「3人」がたくさん出てくることだ。中心になる「よう子、太郎、富美」の3人をはじめ、「よう子、太郎、雅之」、「春絵、夏絵、冬絵」、いとこたちなど実に多い。3人にする必要がないところでも執拗に3人組を作っている。

この「3」は大事なポイントのような気がするのだが、どういう意図だったんだろう。『嵐が丘』ではキャサリンとヒースクリッフが絶対的カップルでエドガーは邪魔者だったのに、『本格小説』では雅之を含めた3人があり得ないような良い関係となっている。作者にとってひょっとしたらこういう三角関係が理想なのか。そうするとあちこちに散りばめられた「3人」もそのような肯定的な意味があるのか。「3」は昔から安定した、美しい数字だし。…と、まぁ読了直後のいまはそんな風に思うけれど、もうちょっと考えてみたい。

もうひとつ面白いのは、『本格小説』の方はあちこちにわざとらしい写真が挿入されていることだ。古い洋館とか、河とか、道路とか。どれも人間が写っておらず、対象を対象らしくはっきりと写しているのが特徴である。いわゆる雰囲気のある写真ではなく、「この対象を見せるのだ」という意志の感じられる写真。そして、その写真があることで余計に中身のフィクション性が強まる気がする。そういえば、序文に「東太郎は実名だ」と言ったり、作者自身の話をいかにも実話ぽく語ったりするのも、このわざとらしい写真に呼応するのかな。個人的には、最初の写真が出て来た時点で、「ヴァージニア・ウルフの『オーランドー』みたい!」と思った。

戦後日本を描いたという点でもとても面白かった。自分が生まれた年(昭和31年)は「もう戦後ではない」と言われた年だったと知る。また、ひとむかし前の海外駐在員の世界のディテールもリアルだった。現地採用の日本人との微妙な差別感、たしかにあったよなぁ。

実をいうと、水村美苗はずっと苦手意識があって読もうと思わなかったのだ。以前彼女が著者近影で使っていた、小首を可愛らしくかしげた写真が嫌いだったから。でも最近の写真はわりといい感じで婆さん(ちょっとオニババ的雰囲気もある)になっているので好感が持てる。別のものも読んでみたい。
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by tummycat | 2013-08-19 07:33

694  吉田喜重  『小津安二郎の反映画』  岩波書店


小津映画についての評論と聞いて読んだのだが、筆者は小津と面識のある映画監督で、小津のことを非常に敬愛していて、その思いが随所ににじみ出ているという点でかなりユニークな評論だった。なにしろ「小津」ではなく「小津さん」といちいち呼ぶのだ。「いかにも小津さんらしいとしか言いようのない○○」という表現が20回ぐらいも出る。「聖なる○○」という表現も頻出するが、いささか愛情過多な気がした。しかしこの本は小津映画の評論としては定評があるらしい。

わたしは小津安二郎の映画をそれほどたくさん見たわけではないし、おまけに似た題名が多いため、題名だけ聞いても中身がすぐ思い出せないので、この本を読みながらそれぞれの映画をもう一度見てみたい気持ちになった。繰返される同じ台詞が、繰り返されるたびに意味がずれていく、という分析には納得。それから<物>が登場人物を見ている(たとえば空気枕が、あるいは東京という街が、登場人物を見ている)という表現は新鮮に思った。また登場人物としての父と娘の関係だけでなく、俳優と俳優として見たりする解釈も面白かった。「晩春」はまだなのでぜひ見てみたい。能のシーンもあるらしいし。
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by tummycat | 2013-08-08 07:50